たまには、エッセイなど。

ピーラーにもほどがある   

「野菜の皮むき」が苦手だ。

薄くキレイにむけない。

にんじん、じゃがいもなど、むき終わると

だいたい本体の2/3ぐらいになる。

現在僕は62歳。もうすぐ年金生活が始まる。

なのに、野菜の1/3をゴミ箱に捨てるような

暮らしをしていいのか。少ないお金を工面して

生きていく覚悟がお前にはないのか。

アタマの中に、黒い腕カバーを付けた会計課員が浮かぶ。

そろばんをはじきながら舌打ちをする。

僕は彼につぶやく。

「解決法はわかっている。ピューラーを買えばいい」

「違う。ピーラー。ピューラーはまつげ」

彼がべっこうの眼鏡を下げ、上目遣いでいう。

「じゃあ100均へ行ったら」

僕は彼の声を無視して、どうせ買うならいいものをと、

百貨店に足を向けた。

 ‘

むかし「技術・家庭科」という授業があった。

確か中学のときだ。

男子は「技術」で、夏休みの課題に本立て作りがあった。

登校日までに学校から支給された材木で仕上げるという

もの。

まずは設計だ。僕はスライド式で、本立ての両背に

ハガキなどを収める、小物入れ付きの少し凝ったデザインを

スケッチブックに書いた。小物入れには軽い彫刻も施し、

美的にも優れたものにした。

デザインは完璧。次は実践と、材木に線を引き

ノコギリを這わせた。

ガリッ、ガリガリ、ぽわん。ガ、ガ、ギリ、すぽっ。

ノコギリは反抗期なのか、まっすぐに動かない。

本棚の台になる部分は斜めに切られ、ただの欠片に

変わっていた。一番簡単なところでこの始末。

スケッチに書いた凝ったところはすべて失敗。

彫刻など百年早く、学校から支給された材木は

欠片だらけで無くなってしまった。

「情けない」と父は頭を抱え、ホームセンターで

本立て三台分の材木セットを買ってくれた。

息子は父の読み通り、そのすべてを使い果たし、

なんとか締め切り一か月遅れで本立てを提出した。

スライドなし、小物入れなし、もちろん彫刻無し。

いったってシンプルな本立てを僕は人の三倍の

お金を使って作り上げた。

プラモデル。これも天敵だった。

小学3年の頃か。単三の電池で走るモーター付きの

自動車を買ってもらった。

これは千年早かった。部品を切ることすらままならず、

車体をくっつけようと

セメダインを使ったら、ほとんどはみ出て、

指と指が離れなくなったりして、唾でなんかとしようと舐め、

あまりのまずさに卒倒した。

もちろんモーターの細かい配線など手に負えず、

結局出来上がったのは、セメダインでベタベタになった

車体のみの走らない車だった。

百貨店で手に入れたピーラーは、1908年創業の

ブランド貝印1200円。

腕に自信のないものは、道具にすがる。

「弘法じゃないんだから、筆ぐらい選ばなきゃ」

これが大正解。刃をあてると、にんじんは

気持ちよさそうに1枚1枚、皮を脱いでいく。

僕がむいているのではない、まさしく彼、いや彼女が

自分で脱いでいくのだ。

鮮やかなオレンジ色、つやつやとした肌が眼にまぶしい。

僕はその軽やかな感触が楽しくて、何枚も何枚も

皮に刃をあてた。

気が付くとにんじんは1/3になっていた。

僕は悟った。

不器用な人間は、ムダと回り道で、人生を削りすぎる。