テレビドラマを見て再読 

「風よあらしよ」 村山由佳

常識からはるかに逸脱している

人間、小説に惹かれる。

アナキストの大杉栄、伊藤野枝も

そのひとり。

これまでも二人にまつわる本はたくさん

読んできたけど、村山由佳さんが

渾身の力で小説にしてくれた。

先人の作家では寂聴の「美は乱調にあり」

だが、村山さんは持ち前の優しさとセンチメンタル

さがにじみ出て、激しさの中に柔らかさのある

伊藤野枝像になっている。

少し長くなるが、気に入った文章を引きながら

この小説を紹介したい。

「幼い頃から口減らしのためにあちらこちらへ

やられ、その都度、違った風習や異なる考え方に

さらされてきた」野枝は、

「あれが辛かった、これが悔しかった、と一つ

ひとつ話せば話すほど、腹の中で黒々と煮詰まって

いる怒りがいいかげんに薄まってしまうのがいやだ。

いっそこの黒い塊を、石炭を備蓄するように溜めて

おいて、いつか思い切り燃やしてやる。正しく仕返し

をしてやるのだ」と思うほど、熱い少女だ。

やがて野枝は、親が勝手に決めた男との結婚を

すぐにやめ、元の担任だった

辻潤と恋に落ち、女として人として目覚めていく。

平塚らいちょうを始め女性の自立を問いかける、

日本初のフェミニズム誌「青踏」にも自ら志願し、参加。

そして運命の男、大杉栄と恋に落ちる。

大杉は無政府主義者だが、

「大杉にとって最も大切なのは、主義や運動や革命云々

以前にただ自由であり、精神そのものだ」

と著者は書く。

ここは僕も、右に同じ。激しく共感。

さらに印象的なシーンがある。

喫茶店の部屋の壁に

(お前とならばどこまでも 栄)と落書きした

大杉に対し、

(市ヶ谷断頭台の上までも 野枝)と隣に書きつけた。

「かかしゃん、うちは……うちらはね。

どうせ、畳の上で死なれんとよ」と

母に告げた野枝の激しさがとてもよく出てるシーンだ。

人間的にも思想的にも決して褒められた二人で

はないが、少なくとも

貧しき側に立ち、死ぬまで闘った足跡は心を打つ。

作家が己の技術を駆使し、魂を込めた書いた一冊と

いうのがある。

たとえば中上健次なら「岬」、梶井基次郎なら「檸檬」。

村山由佳の「風よあらしよ」はまさしく、そんな熱量を

感じる一冊だ。