真摯に紡ぐ言葉の強さ、美しさ。「くもをさがす」 西加奈子

カナダでがんになり、両乳房を

切除し、再発リスクを抱えながらも

前を向いて生きていくまでの

治療記だ。

僕はがんをテーマにした映画の脚本を書き、

3年間には自分も罹患したので、

これまで100冊以上のがんの本を読んできた。

なかでも彼女の著作は別格だ。

作家がなりふりかまわず、自分の内なる声に

耳を傾け、言葉を紡ぐすごみ、美しさを

感じさせてくれ、西さんならでのユーモアが

散りばめられているのもさすがだ。

少しひいてみる。

「抗がん剤の治療の妨げになるんで、漢方はやめて

ほしいねん」(関西弁なのは、彼女たちの話す英語が

西さんにはそう聞こえたらしい)

というインターンのサラに、

「今私は本当に漢方に助けられている。だから

止めたくないんです」とためらいがちにいうと、

「そうなんや、オッケー」とあっさり。

え、本当にいいの?と著者が返すと、

「もちろん。決めるのはカナコやで」

サラは私の目をまっすぐ見つめていた。

「あなたの体のボスは、あなたやねんから」

両乳房の切除が決まった後、同じように乳がん体験の

ある看護士、イズメラダとの会話もいい。

「カナコは再建すんの?」

「ううん、再建はせんとく。でも乳首を残すかは

迷ってんねん」

「なんで?」

「うーん、今はせんでも再建しなくなった時の

ために、乳首だけ残す方法もあるって……」

イズメラルダは、目を大きく見開いた。

「乳首って、いる?」

彼女はこれには大笑いして、気が楽になり、

乳首も切除し、しばらくたってこう記す。

私は変異遺伝子があるので、がんの予防のため

将来に卵巣の切除(中略)、子宮を取ったほうが

いいかもしれないと、医師が言っていた。

乳房、卵巣、子宮、という、生物学的医は女性の

特徴である臓器を失ったとしても、それでも

私は女性だ。それはどうしてか、私が、そう思う

からだ。

身体的な特徴で、自分のジェンダーや、自分が何者で

あるかを他者に決められる謂れはない。(中略)

自分が、自分自身がどうするかが、大切なのだ。

この本には要所要所に、著者がおそらく治療期間中に

読んだのであろう、文章の抜粋が出てくる。

これらが、著者の言の葉とあいまって

より効いている。

ヴァージニア・ウルフは本を読むことについて、

こんな風に言っている。

「それはまるで、暗い部屋に入って、ランプを

手に掲げるようなことだ。光はそこに既に

あったものを照らす」

似たようなことを、ウィリアム・フォークーも

言っている。

「文学は、真夜中、荒野のまっただ中で擦る

マッチと同じだ。マッチ1本では到底明るく

ならないが、1本のマッチは、周りにどれだけの

闇があるのかを、私たちに気づかせてくれる」

西加奈子は、この本で私たちに、しばらくは消えないで

あろう1本のマッチを擦ってくれている。

興味を持たれた方は、出版社推奨、

こちらの試し読みをどうぞ。

https://www.kawade.co.jp/kumosaga/

イラストのようです

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