月の文化

昨日(11月8日)は美術史作家でデジタル復元師でもある小林泰三さんの講演会に行ってきた。ライティングプロの高坂さんによるプロデュースだ。

素晴らしかった。〝目からうろこが落ちる〟とは、正にこんなことを言うのだろうと感じ入った。

日本には多くの国宝や重要文化財がある。それらは当時の面影を残してはいるが、経年劣化によって色は剥げたり、褪せたりして、当時の色ではなくなっている。我々が教科書や本で見るのは〝色褪せた〟昔の作品なのだ。

小林さんは失われたその色を、当時のものに復元することをライフワークにしており、その魅力を九州・福岡の人にも知ってもらおうと、高坂さんが折に触れて講演の場を用意してくれている。

「この屏風は、本当はこんな色だったんですよ」と示されるだけなら「ほう、当時はそんな色だったのね」で終わるのだが、小林さんは色を復元することで見えてくる当時の日本人の文化や生活に対する考え方まで解説してくれる。これが面白い。「へえ、そうだったのか」と唸(うな)らされる。

これまで学校で習った歴史、本で得た知識が一本の線でつながったような、そんな納得感が得られる。知識が教養に昇華した、とでも言うべきか。

日本美術の流れを解説してくれたのだが、これもためになった。

かつて中国から入っていたのは「太陽の文化」。色彩的に言うと金色だ。

その根底には〝永遠の繁栄〟という考え方がある。中華思想そのものだろう。昔は金色に輝いていた奈良の大仏(東大寺大仏殿の本尊の仏像)は、その象徴だ。

日本人はそれを一度は受け入れたが、やがて「金」を「銀」に変えていく。

金に代表される原色のハッキリした色調から、銀に代表される淡くて、曖昧な色づかいが使われるようになり始めたのが平安時代、これがすなわち国風文化だ。その根底には〝盛者必衰〟の思想、今日栄えていても明日どうなるか分からない、という日本人の無常観があったと小林さんは語る。

常に輝き続ける「太陽の文化」に対し、満ち欠けする「月の文化」こそ日本人の文化なのだ。

これまで日本美術に対する関心はほとんどなかった自分ですら、「面白い!」と心の中で膝を打った数々の話。正に知的イベントと呼ぶにふさわしい講演会だった。