言葉を削る

いつだったか、自分のフェイスブックに「あなたがこの1年でよく使った言葉」が表示されたことがあった。

うろ覚えだが、そこには「思う」「自分は」「だろう」などの言葉が並んでいた。それを見て、ああ…そうかもな。と納得した覚えがある。

何かのことを書くとき、文頭に「自分は」と断りを入れ、語尾には「思う」「だろう」などを付ける。そうすることで断定色が薄まる。つまり、自分の意見に対する自信のなさが端的に表れているのだ。こういう文章はたいてい内容に面白みがないし、読んでいてリズムが悪い。

例えば先日の「明日の迎え方」の記事でも、最後の一文は当初、こんなふうになっていた。


だから、その種のストレスはかなり減ったと思う。しかも自分がやりたい仕事が、少しずつできるようになっている(もちろん報酬をもらって)。手前味噌だが、この状態が続くならば、最高の人生だと思う。


「思う」がわずか2行に2カ所もあるのだ。そこで「思う」を外してみる。


だから、その種のストレスはかなり減った。しかも自分がやりたい仕事が、少しずつできるようになっている(もちろん報酬をもらって)。手前味噌だが、この状態が続くならば、最高の人生だ。

歯切れがよくなって、読みやすくなったのが分かってもらえるだろうか。文章は無駄な言葉を削るだけで、グッと読みやすくなる。だから何度も読み直して書き直す「校閲」作業が大切なのだ。地味で根気のいる作業だが、校閲をないがしろにする人はライターとしては不向きだ。

それにしても、前に書いたブログを読み返していると、「思う」「個人的には」という言い回しが結構あるなあ・・まずは自分が「思う」「思った」という言葉を使わないように気を付けていかないと。