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墨絵は、墨のにじみによって形を作り、森羅万象を表現する。
「墨に五彩あり」という言葉がある。墨は確かにひとつの色でしかないが、その表現は様々な色を使って描いた情景に匹敵することを物語っている。
前回は、さすがの若冲も墨絵では、狂気を感じさない作品が多いと言った。それらは五彩の可能性の中に表現を留め、かわいさやユーモラスの雰囲気を醸し出している。
しかし、晩年、そう『花丸図』と同じころ、とても奇妙な作品を残している。
「石灯籠図屏風」である。
とにかく、不自然な表現。若冲が得意のフォルムも正確さを捨て、まるでキュビズムのように立体感を崩しながら、魚々子(ななこ)文様のようなぶつぶつで、石の表面を描いている。
墨絵というシンプルな表現にも関わらず、ついに、彩色細密画以上の「一線も二線も超えてしまっている感」があるのだ。
本当に怖い狂気は、見るからに狂暴そうないかつい男が、刃物を振り回しているのではなく(もちろんそれも恐ろしいが)、おとなしい女性が優しほほえみを浮かべたまま毒薬の注射を背後から刺す、という感じではないだろうか。
それとない抑えた表現の中に、現れてしまった冷ややかな「一線超えてしまった」感じが、つまり冷静な判断から生まれた狂気が、恐ろしい。
晩年の若冲には、そんな”狂気への開き直り”が感じられるのである。
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