日本美術の展覧会は、
有名な企画展ともなると今や長蛇の列でおおにぎわいだ。
(もちろん、コロナ禍以前の話である)
その日本美術ブームの火付け役となったのが伊藤若冲だった。
それまでは見向きもされなかった若冲が、なぜ突然、
これまでに人々を熱狂させることになったのか。
それは、
「まったく知らなかったニッポンがあることを知った喜び」
ではないだろうか。
光琳や北斎に次ぐ、新しい日本美術のヒーロー”若冲”を、
「現代の私たちが発見したのだ」という熱狂である。
私が若冲の絵を始めて見て感動したのも、
まさに「新しい驚きと喜び」であった。
そんな「私と若冲」の話を数回に分けてご紹介したい。
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〝奇想御三家〟として出会った若冲
私が若冲と初めて出会ったのは、
ブームの発端となる2000年京都国立博物館で行われた
「没後200年 若冲展」よりも10年以上前、1986年大学1年生の時。
今でも時にご指導をいただく、
江戸絵画、浮世絵研究の第一人者・小林忠先生の授業で、
「伊藤若冲」という名前を初めて聞いたのだった。
そのときはすでに辻惟雄先生の「奇想の系譜」は
世にとっくに出されていて(1970年発行)、
小林先生はその内容を分かりやすく解説して下さった。
この「奇想の系譜」は、日本美術の大きな流れにはそぐわない、
しかし、どうしても気になる画家たちを紹介している。
岩佐又兵衛、狩野山雪、などに続いて、長澤芦雪、曽我蕭白、
そして伊藤若冲、と先生が話されたと記憶している。
私の中ではなぜか「奇想御三家」として
「芦雪、蕭白、若冲」とセットになっているのである。
その時は、まだ曽我蕭白のあまりにもすごい表現にぶっ飛ばされて、
若冲に注目する余裕はなかった。(つづく)
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