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私が、意識して若冲に出会ったのは、
「日本名宝展」での「動植綵絵」(どうしょく さいえ)であった。
この展覧会、いつだったんだろう、と思って調べてみると、
1986年に、東京国立博物館で開かれていた。
となると、大学の授業で衝撃を受けた直後、
同じ年の秋に出会って再び衝撃を受けたのだと思う。
本当に衝撃であった。
細かく描き込まれた密度で、大きな30幅がズラリと並べられた光景は、
久しぶりに美術で胸が空く想いだった。
そんな想いは、日本美術では初めてではないだろうか。
例えば、ルーヴル美術館でヴェロネーゼ「カナの婚礼」、
あるいはダヴィッド「ナポレオン戴冠式」の飾ってある部屋に
入った時なんかはそうだった。
いや、予想を上回るスケールという意味で
より衝撃を味わった経験では、
システィーナ礼拝堂の「天地創造」と「最後の審判」を見上げて
呆気にとられたのに通じるくらいだった。
見た目のインパクトがすごい御三家(芦雪、蕭白、若冲)、
モザイクの奇抜さ、そしてこのスケール感…。
最初に、出会ったきっかけがこんなんだったから、
私の若冲に対する印象は、間違って植え付けられてしまった。
しかし、それは、一般の人も抱いてしまう誤解だった。(つづく)
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