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八幡製鐵創設の年に開業、120年の歴史を持つ薬局
1901年(明治34年)に創立した官営八幡製鐵所と同い年の店がある。
亀屋薬局だ。
今年(2021年)で開業して120年になる。
創業者は衛藤七郎さん。
薬業を営んでいた大分県中津市から
鉄景気で賑わうことを予測し中央町に店を開いた。
七郎さんの目論見は当たり、店は連日多くのお客さんで賑わった。
「母がよく言ってました。製鐵の東門に向う従業員の下駄の音がうるさくて眠れなかったと。そのくらい戦前の中央町は人が多かったんでしょうね」
と語ってくれたのは、亀屋薬局3代目の庄司啓子さん(68歳)。
大正9年に行われた国勢調査によると、当時の八幡の人口は10万人を超え、
全国で最も人口が急増した都市だったというから、相当なものだ。
「祖父の七郎はいろんな事業を手がけた人で、山師みたいな性格だったそうです(笑)。なにしろ鉱山も掘りあてたいって思ってたみたいですから」
事業家だった七郎さんは、
薬局以外にも中央町に3軒のお店を開業させている。
氷業を営む「亀屋商店」(明治44年設立、現在も営業)、
八幡の名物として評判だった「亀屋最中」(昭和25年開業)、
2階にとんかつやもオープンさせた。
自ら事業を立ち上げ、その後は子どもたちに経営を託す、
というのが七郎さんの流儀で、
「亀屋商店」は義理の息子さんである磯崎雄吉さん、
「亀屋最中」は四女の清子さん、そして薬局を三女の久子さんに託した。
久子さんが店を継いだのは20歳の時だった。
啓子さんはいう。
「母は生涯一薬剤師みたいな人でした。仕事熱心で、朝の7時から夜の10時まで営業してました。連日3ケタの数のお客様が来られてたので、店は大忙しでした」
おしゃれも大好きな方で、
東京からアクセサリーやハンドバック、スカーフなどを仕入れ、
店で売っていたそうだ。
また責任感が強く、戦時中も爆弾がいつ落ちるかわからない中を、
仕事先の病院に行くような人だった。
ある日、今日は危ないからと七郎さんに止められたところ、
その病院に爆弾が落ち命拾いをしたという。
火事で店舗が全焼するも、営業再開
啓子さんが店を継いだきっかけは、火事で店舗が焼失したからだ。
2001年(平成13年)のことだった。
中央町商店街で火災が起き、818㎡・8棟が焼損した。
亀屋薬局は全焼だった。
店を畳むことも考えたが、啓子さんが3代目となり営業を再開した。
114年の歴史を振り返り、彼女はいう。
「継続は力なりの一言に尽きますね。続けていくには信頼と実績と人材もいる。豊かでなくても、それがすべて揃っていないとやってこれませんでした。そして何より大切な永年のお客様の励ましと信頼があったからこそ、再開も出来ました。私たち夫婦には子どもがいないので、私の代で終わりかなと思ってたんですが、有難いことに彼が継いでくれることになったんです」
そう言って紹介してくれたのが、4代目の古賀建次さん(43歳)だ。
ご両親が店に勤めていた縁もあり、引き継ぐことになったそうだ。
これからの抱負を伺った。
「親子3代というお客さまもいる店ですから、これまでの歴史を大事に継続しながらも、新しい情報を発信し中央町をもっと活性化させていきたいと思います」
どうやら次なる100年に向かって、亀屋薬局は歩き始めたようだ。
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