品質の良いもの を届ける~中央町老舗100年物語③「山城屋茶舗 」


昭和9年に完成した店舗


京都の老舗「小山園」が指定した北九州唯一の店


ギリシアのアテネで第1回のオリンピックが開催された1896(明治29)年に創業したのが、山城屋茶舗だ。

日本では、エジソンが発明したキネストコープ、初めて映画が上映された年でもある。今年(2015年時点)で119年を迎える中央町屈指の老舗だ。

創業者は百田善作さん。

佐賀県出身だが次男だったため故郷を出て、北九州の小倉へ。最初は家具の販売などを行っていたが、八幡製鐵所建設のニュースを知り、これからは八幡が発展すると考え中央町に居を移した。

製鐵所の職員たちに向けて、タバコを始め日用雑貨品を売るお店を開業させた。

商売は大当たりした。

製鐵所の賑わいとともに、店の規模もどんどん大きくなり、昭和19年頃には山城屋デパートと呼ばれるようになっていた。2階にはスマートボールなどの施設も作り遊興の場所としてもにぎわったという。

善作さんは地域貢献に熱心だった方で、学校に二宮尊徳の銅像を寄付したり、八幡小学校の講堂建築のために尽力を注いだ。1917(大正6)年に誕生した八幡市の市会議員としても活躍した。

現在のようなお茶の専門店としてリニューアルしたのは、二代目の百田正幸さんが継いだ戦後のことだった。

京都の老舗、小山園から北九州唯一の店として指定を受け、貨車一両分ほどのお茶を仕入れるほどの盛況ぶりだったという。

夢の夢の時代

「そして三代目が夫の善幸です。あんまり商売熱心じゃなかったですけどね」

そういって微笑むのは、四代目として今店を切り盛りしている妻の翠さん(73歳)だ。

善幸さんは八幡高校を卒業後、大学を受験するが不合格となる。「一浪は禁止」の百田家の家訓ゆえ実家へ呼び戻された。翠さん曰く、三代目として仕方なしに山城屋茶舗を継いだという。

商売よりも熱心だったのは剣道で、子どもたちの指導に力を注いだ。3段の腕前だった。

そんな善幸さんと翠さんが結婚したのは1965(昭和40)年。いざなぎ景気で賑わい、3C時代(車・カラーテレビ・クーラ)と呼ばれ、エレキブームが到来した年だ。善幸さんは28才、翠さんは23才だった。

「当時は20、21が結婚適齢期といわれてたので、俺がもらってやって有難く思え。なんて憎まれ口をよく叩かれたものです」

と笑う翠さん。

嫁いだときから働きづくめだった。朝5時から夜10時まで店に出た。
製鐵所に風呂敷を抱えお茶も売りに行った。

それまで商売をしたことのない翠さんにとって「今日はお茶いかがでしょうか」と声を出すのはとても恥ずかしかったが、「今振り返ると、夢の夢の時代でした」と目を細める。

善幸さんが60歳で他界した後は、翠さんがひとりで店を守ってきた。

「大事にしているのは品質の良いものをお届けするということです。残念ながら跡継ぎはいませんが、代々続いたのれんに傷を付けないよう、80歳まで頑張るつもりです」

取材中、数人のお客様がお茶を飲みながらくつろいでいた。
聞くと、店は井戸端会議の場所になっているという。

「翠さんの人柄がいいので、つい長居してしまうんです。待ち合わせの場所として使うこともあるんですよ」

山城屋茶舗。
お店で出す選りすぐりの日本茶のように、味わい深い老舗である。

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※年齢は取材時の2015年現在