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八幡製鐵所のお膝元で大盛況
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ファッションの仕事は、
時代の変化やトレンドに、より敏感でなければ務まらないと思う。
それだけに、店を長く続けるのも難しい。
リーズナブルな値段と良質な品質が人気の「うさぎや」は、
今年で創立110年を迎える洋品店だ。
店がスタートしたのは、1905(明治38)年。
日露戦争が終結し、夏目漱石が「我輩は猫である」を発表した年だ。
創業者は馬場喜一郎さん。店名のうさぎやは、
自分の干支と反対の「裏干支」が縁起が良いという言い伝えにのり、
喜一郎さんの干支・酉の裏〝うさぎ〟を採用した。
開店時は、ファッションはもちろんのこと、
雑貨、日用品などいろんなものを売っていて、
〝馬場百貨店〟と呼ばれていたそうだ。
八幡製鐵所が創業して4年後でもあり、商品は飛ぶように売れた。
うさぎやは店舗をどんどん大きくしていき、
煉瓦造り3階建ての百貨店という名にふさわしい
立派なビルに変わっていった。
エレベーターも完備し、従業員は100人を超えていた。
なかでも主力商品の呉服は、京都から直接仕入れた高級品で
多くの女性たちの憧れの的だった。
製鐵所の従業員が三交代だったので店は夜中まで開けていた。
通りは四六時中、人で前が見えないほど賑やかだったという。
2代目馬場正彦さん、3代目馬場勇さんと受け継がれる間に、
店は百貨店から呉服専門店、洋品店とスタイルを変え、
4代目の馬場正喜さん(81歳)が継いだときには呉服専門店に戻っていた。
私は当時事務用品などを扱うイトーキに営業として働いていたので、
商売を継ぐことには抵抗はなかったです。
ものを売るという点ではどちらも同じですから。
と正喜さん。
商売に意欲的だった彼は、時代の変化を察知し、
呉服屋から洋品店にスタイルを変え、
1万円以下のリーズナブルな洋服を売るという戦略を立てた。
1975(昭和50)年頃のことだ。
正喜さんの戦略は見事に当たり、お客さんが急増した。
車一杯に洋服を積み、仕入先と店を何度も往復した。
商売繁盛を追い風に正喜さんは事業を拡げ、
レンタルビデオ店、カラオケ店、カレー屋、肌着専門店など
さまざまなビジネスを展開していく。
「中央町はもっと良くなると信じている」
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とにかくいつも前向きで明るいんです。
父からはポジティブシンキングの大切さと、本気で願えば思いは叶う、
ということを教えてもらいました。
と語るのは、5代目の馬場堅太郎さん(50歳)。
30歳まではサラリーマンとして会社勤めをしていたが、
父・正喜さんの身体が弱くなったこともあり、
2000(平成12)年に店を継いだ。
息子が継ぐのは、大反対でした。不安定な仕事だし。
第一私も夫がサラリーマンだから結婚したんです。
まさか商売人になるなんて。
自分のことを振り返れば、苦労するのがわかってますからね。
と苦笑するのは、正喜さんの妻、由紀子さん。
さぞ耳が痛いだろうな、と思い正喜さんを見ると…満面の笑みだった。
ね、こういう人なんですよ。店を継いだのは親孝行の気持ちと、
幼いころから遊んでいた中央町に戻りたかったからです。
昔ほどにはないにせよ、これから中央町はもっと良くなると信じてます。
願えば叶う、です。
もし叶うなら、堅太郎さんには、
中央町の活性化を担うリーダーになっていただきたい。
父親譲りの笑顔を浮かべる彼を見ながら、心から願った。
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