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おとなしい表現の中にある狂気は、晩年、非常にユニークな形で表出する。金刀比羅宮の奥書院にある、「花丸図」にそれは見ることができる。
普通、花丸図といえば、文字通り丸く描写され、襖絵などに余白をあけながらリズミカルに配置される。それによって、見る人は非常に華やかな気分になる。
ところが、この花丸図は、それぞれの花が横長の長方形に収まるように表現され、それが上下左右に、あまり余白もなく整然と並べられているのだ。
これが狭い空間のにびっしりと描かれ、見る人に迫りくる。とてもリラックスするような空間ではない。
ただ現状は、金の背景にその花々は並んでいる。絢爛豪華の衣をまとってしまっている。
これによって、ひとびとは通常の花丸図とは全く違うものとして鑑賞することが許されてしまい、狂気が伝わらなくなっている状態にある。
これは、本当の伊藤若冲の意図するところではない。
本当は、通常の花丸図のように背景は白だった。すると、花々のシルエットが非常に際立ち、整然と並んだ感じが強調される。居心地の悪さが増幅されるのだ。そして、白の冷たさ…。
この空間に押し込まれた人間は、どのような面持ちでいなければならないのか分からなくなる。
基本おとなしい表現なのに、配置によって人を追い詰める「狂気」。
伊藤若冲は、これを描いた晩年でも、いわば京都の商店会会長のような役割を担い、地元の人のために奔走した様子から、普段の顔を持っていたことがうかがえる。その普段の生活の中から時に表出するこの狂気は、普段とのコントラストによって、さらに異様な輝きを呈している。(完)
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※若冲の「花丸図」は「金刀比羅宮 花丸図」で検索すると、各サイトで見ることができます
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