「きのうのオレンジ」 藤岡陽子

          

優しくて切ない物語。美しい文章。

心が洗われる小説という言葉がぴったりの

作品。

ストーリーは、33歳の真面目な男が、

ガンになり家族が懸命に彼を支えるというもので

取り立てて目を見張るものではない。

けれど、医療現場、医師、看護師、患者の

気持ちや描写がリアルで、

僕のようにガンを経験した者には、

胸により迫ってくる。

さすが現役の看護師が書いた物語だ。

またそれを支える文章が素晴らしい。

少しひくと、

病院では手首に巻かれたネームバンドと

ベッドに付けられたネームプレート以外に、

自分であることを証明するものは

なにもなかった。

わずか数日入院しただけで自分が何者で、

これまでなにをして生きてきたのか、

そんなことすらあやふやになっていた。

人はいとも簡単に、それまでいた場所から

離脱できるものなのだ。

……僕も入院したとき、同じことを思いました。

健康なときには気づかないことって

ほんとにたくさんあるんですよね。

作品の中の会話、セリフもいいんですよね。

ひとつだけひくと、

主人公の母の言葉。

「毎日を丁寧に生きるというのは、雑草を抜く

ことと同じじゃよ」

……テレビのリモコンの5に小さな突起が

付いている。目の不自由な人や暗闇でも

わかるように付けている、ってことも

この小説を読んで初めて知りました。

主人公のことを同級生の看護師が、その小さな

突起のような人だとたとえるんです。

困った時に、おもわず探してしまうような人、だと。

病気の描写がリアルなぶん、ガンの追体験を

しているような苦さもありますが、

タイトルのように、優しく包み込むような

オレンジの光がたくさん散りばめられていて、

もっと丁寧に生きていこう、と思わせてくれる

とても誠実な小説です。