辻井喬 上野千鶴子
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おそらく五回目くらいの読了。
堤清二氏(辻井喬)のインタビューを
通して、セゾングループの歩みを振り返りながら
日本の消費社会がどう変わっていったかを
検証していくというものです。
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僕の根底に常にあるもの(思想というと大げさだけど)は、
「どっこい庶民は生きている」。
そんな僕にとって、フツーの人たちがどのように
消費をしていったのかの歴史はとても興味深いし、
何より上野さんがガンガン、セゾンの過ち、
リーダーとしての堤さんの存在意義を突っ込んで
いくのが痛快で、それを鷹揚に受け止める彼(小説家
辻井喬として)の懐の深さも素敵なのです。
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たとえば、西武美術館を「選ばれた価値の定まった
美術品を壁に掛けておく、そういう仕事は美術館では
ない。というラディカルな発想が運営の基本にあった」
と辻井さんが言えば、
上野さんは、フランスの社会学者
ピエール・ブルデューの「ディクタンクシオン
社会的判断力批判」という作品を引きながら、
「前衛芸術は評価の定まらないもの。評価が定まった
ものではなく、定まらないものに対して価値を見出す
のは、成り上がりの振興ブルジョワジーである」と
返します。
すると辻井さんは、
「なるほど、その理論は当たっているかもしれない。
自分は死んでも応接間に飾るような装飾品的絵画には
手を出さないという固い決意というものがあった。
これは旧エリートに対する自己差別化もしれません」
と応えます。
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少し長くなりますが、この本は紹介したいところ
だらけなので、もうひとつ。
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上野「2002年にルイ・ヴィトンが表参道に
路面店をオープンしたときに、女性客が400mの行
列を作りました。あれを見て、私は愛国者でもないの
に、思わず屈辱もの!という言葉が出たりしました
(笑)」
辻井「いいなあ(笑)」
上野「ヴィトンのグローバル・マーケットの1/3が、
日本市場だという話ですね。日本の女がみすみす
ヨーロッパ・ブランドの獲物になっています。
私は、財布からキーホルダーに至るまで、
ただの一点もヴィトンを持っていないことが
誇りです(笑)」
辻井「なるほど。それはいいことだと思いますよ。
ブランド名をつけることで二割も三割もモノが
高く売れるというのは、どう考えても納得でき
ない。だからこちらは無印良品というのを
作ったわけですから」
上野「それは言えませんよ。西武は一方でエルメスや
サンローランなどのライセンス契約を取りました。
それも売りながら、もう片方の手で無印を売って
おられるんですから」
辻井「そうね。ほとんど導入して、ブランド志向を
増長した。罪は大きいですね(笑)」
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本当に頭がいい、知性があるというのはどういうことかを
教えてくれる、対談集です。
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