市川沙央
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初めて好きになった女の子が
ハンチバック(せむし)だった。
二人手をつないでる写真が今でも残っている。
僕は覚えていないが、両親に
「この娘を一生僕が守る」と言っていたそうだ。
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あの娘がもし小説を書いているとしたら……。
読後中、ずっとそんなことを考えていた。
主人公は、親が残したグループホームで暮らす
重度障害者、井沢釈迦。
彼女は自らをせむしの怪物と呼ぶ、
湾曲した背中と気管切開した喉(のど)を持つ
40代の女性。
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親の遺産で金には困らない釈迦は、
エロな話を食い扶持にしているライターで、
稼いだ金はすべて寄付している。
いやー、このキャラには参りました。
文章のひとつひとつが胸に刺さるのだが、
おもわず笑ってしまう毒さ加減が癖になる。
たとえば、こんな文章。
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<中絶がしてみたい>
暫く考えてみて、そのツイートは下書き保存する。
(中略)炎上しそうな思いつきは取り敢えずここに
吐き出して冷却期間を置くのだ。
<妊娠と中絶がしてみたい>
<私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう>
<出産にも耐えられないだろう>
<もちろん育児も無理である>
<でもたぶん妊娠と中絶までなら普通にできる。
生殖機能に問題はないから>
<だから妊娠と中絶はしてみたい>
<普通の人間の女のように子どもを宿して
中絶するのが私の夢です>
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当たり前だと思っている元気な身体は、
当たり前じゃない、と彼女は中指を立てる。
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この文章にもやられた。
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厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて
没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に
負担をかける。
私は紙の本を憎んでいた。
目が見えること、本が持てること、
ページがめくれること、読者姿勢が保てること、
書店は自由に買いに行けること
ー5つの健常性を満たすことを要求する
読書文化のマチズモを憎んでいた。
その特権性に気づかない「本好き」たちの
無知な傲慢さを憎んでいた。
曲がった首でかろうじて支える重い頭が
頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら
屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との
綱引きに負けていく。
紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ
曲がっていくような気がする。
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無知な傲慢。僕も間違いなくそのひとりだ。
読書することをこんなに大変に思う人が
いるなんて。
いやー、知らなかった。
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多様性などと軽く口走る己を、この小説は
せせら笑い、毒づく。
とんでもないストーリー展開にも驚かされて、
エンタメとしての面白さも内包しているから
一気に読んでしまった。
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ただ僕にはラストシーンがよくわからなかったので、
理解できた方にお話を聞いてみたい。
しかしすごい小説家が現れたものです。
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