「硝子戸のうちそと」
半藤末利子
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武田百合子や森茉莉を読んだときと
同じ読後感だった。
さらりと放つ毒舌、自由だけど
上品、少女の風情を失わない可愛さが
文章から立ち上がってくる。
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年を取り料理を作るのが億劫になった
彼女は記す。
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「宅食というのはどうも一つ取る気が
しないので、仕方なく表に出ることになる。
外食だと後片付けもしないでよい。
近所の高くもない代わりに大して美味しくも
ない十軒足らずの店へ順繰りに行って
食べることになる」
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作家で昭和研究家の夫、半藤一利が
菊池寛賞を受賞したときの話。
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「かつて大学時代、菊池寛は私の父松岡譲と
親友であった。しかし父の恋愛事件をめぐって、
父を排斥する立場にまわった。
だから私からしてみると菊池寛は私の親の敵
である。私は、親の敵!と叫んで仇討ちを
せねばならむ身である。
当然私の助っ人になるべき亭主が尻っぽを
振って賞をもらう気か、と私が怒り、
一時わが家は内紛状態にあった。
亭主は私がけんつくを食わすと、私を
テロリストと呼んだ。が、「そんなこと
言わないで、式には出席してください」と
終いにはひれ伏して懇願してきたので、
授賞式には私は渋々ながら出席をしたのである」
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酒に酔い大腿骨を骨折した半藤一利に書く。
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「バカ、バカ、バカ、バカ、と何度繰り返しても
足りやしない。本当に吾が亭主は、大バカヤローの
コンコンチキである」
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ある日隣の夫が眠るように亡くなった。
彼のことを彼女はこう語る。
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「彼は夫としては優等生であった。
あんなに私を大切にして愛してくれた人は
いない。
ほんの四日間だけ、下の世話をさせたことを、
「もったいない」と嗚咽を堪えながら、
「あなたにこんなことをさせるなんて
思ってもみませんでした。
申し訳ありません。
あなたより先に逝ってしまうことも、
本当にすみません」と頻りに詫びるのであった。
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この妻にしてこの夫あり。
かくありたいものですね。
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ちなみに著者は夏目漱石の孫でもあり、
彼女の記す夏目家の話も面白く
本作にも収録されています。
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