「心のキャンバスに想像の絵を描く」~三遊亭竜楽 

手ぬぐいと扇子ひとつで、人を笑わせ泣かす驚かす、
「落語」は世界に類を見ない、エンターテインメント。

この落語の魅力を当代一の人気落語家たちにインタビューする
「ここほれ!落語」。第4回は三遊亭竜楽師匠です。

-落語を好きになったのはいつ頃?


中学3年生のときに講談社の「落語全集」という本を読んで、
面白いと思いましたね。
あれ7巻ぐらいあるのかな、何十回も読んだ。

一番大きかったのは、うちの父親が
古今亭志ん生のカセットテープを買ってきたんですね。

それまでも落語は聞いてたりしたんですけど、
全然違うもんでした。
こんな面白い落語があるのかと、それが圧倒的でしたね。

-落語家になったのはなぜ?


大学が法学部だったので、
卒業しても司法試験を受けていたんですが、全然合わなくて、
映画見たり芝居見たり、寄席に行ったりしてました。

25歳くらいまではそうやって暮らしてたんですけども、
さすがにいつまでもそうはいかない、
司法試験を受けるのは止めなきゃと思ったんです。

で、その生活を辞めるには、なんていうかな、
自分を極端な方向に持っていくしかなかったんです。

僕はもともと人前で喋るのは大嫌いだったので、
一番自分には向いてないかもしれない、落語という世界を選んだんです。


-修業時代はどうでしたか


全然受けなかったですね(笑)。
賞をとっても私は努力賞、つまりよく勉強はしてるけども、
面白くないといういうことですね。

変わったのは真打になる寸前、大阪の落語会に出演したときです。

ウケたんです。

なんで自分が受けてるんだろうとわからなかったんですが(笑)、
東京では受けないのが怖いので抑えてた、
でも大阪では開き直れたというか、どんどん押して行ったんです。
そしたら笑ってもらえて、なんか伸び伸びやれたんです。

それから支えになったのは、

「お前みたいなタイプの方がいろんな噺が出来るんだよ。私もそうだった。私の顔を観てごらん。面白くもなんともないだろ。だけどこういうやつのほうがいろん噺が出来るんだ」

と言ってくれた師匠・円楽の言葉でしたね。

-平成20(2008)年からヨーロッパで落語をされるようになりましたね


そもそもは知り合いだったブルガリア人女性に、
留学生の前で落語を演って欲しいと頼まれたんです。

で、英語を交えて演ろうと思ったが、
ブルガリア人ですから、英語も共通語ではないし、
留学生の英語、日本語のレベルがバラバラだったので、
だったらと、日本語で演ったんです。そしたら大笑いしてくれた。

そのときに、落語は世界で通用すると感じましたね。

それから十数年後に、イタリアのフレンッェで行われた
日本フェスティバルで落語を演りました。

そのときも英語力を披露する噺ではなく、
言葉が少なく相手が想像できる噺を選んでやったら受けましたね。

人間のコミュニケーションの7割は言語以外といいますから、
落語本来の魅力、想像性を喚起する噺をすれば十分に伝わりますね。

-落語の魅力とは


ストーリーの深みや内容ということに関して
落語は素晴らしいということは前から思ってましたが、
海外で演るようになって、
自由に心のキャンバスに想像の絵を描くことができる楽しさを知りました。

落語の最大の魅力ですね。

それを知ったときに、絶対世界で落語がやれる、やりたいと思いました。
「ふぐ鍋」を今回、中国の留学生50人ぐらいの前でやったら、
ものすごく受けたんですよ。

そのときに変な話、大げさにいうと「世界を掴んだ」と思いましたね。
〝この噺が、言葉もわからない人間にこれほど受けるのか〟という。

-落語の楽しみ方は


先入観を持たずに聞いてください、ってことですかね。

落語だけですよ、いわゆる古典芸能と名の付くようなものの中で、
何の予備知識もなくて初めて聞いた人が楽しめるのは。

それは落語しかありえない。
だからいろんなもの見ないで、ぽーんと入ってきて欲しいですね。

-挑戦したいことは

落語の伝道師となって、もっと世界に広めていきたいですね。
で、落語を聞いた人がいい落語を自分なりに見つけてもらえばいいですし。

それと観光立国というか、
日本のいいところを映像で見せて来てくださいというだけじゃなくてね、
落語を聞いて日本に関心を持ってもらえたらいいですね。

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(さんゆうてい・りゅうらく)
1958年生まれ。中央大学法学部を卒業し、1986年三遊亭円楽に入門。1992年に真打昇進。江戸っ子気質を基底にした、粋な文化としての古典落語の内容を新しい形で現代へと伝えていくのが信条。
1991年、92年と連続で「にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞」受賞。93年には国立演芸場「花形演芸会・銀賞」を受賞。