ー最後のかくれキリシタン
長崎県・生月島の人々」 広野真嗣
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取材で行った長崎平戸で、かくれキリシタンが
祈りを捧げていたという小屋を覗いた。
部屋に入った途端、体中が震え涙が止まらなくなった。
仏様を模したマリア像、傷だらけの十字架、
目に入る全てのものに
反応してしまい、どうしようもなくなった。
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以来僕の前世は「かくれキリシタン」だと思ってます。
悪友は、「違う。お前の前世はキリシタンを迫害した
役人のほうだ。 だから罪の意識で泣くのだ」
と言ってますが。
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まぁそれはいいとして(笑)、とにかく僕は以来、
15年間ひとりで全国の
隠れキリシタンの郷を訪ね歩いているのです。
当然関連本も相当数読んでますが、今回の本は別格でした。
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2018年に長崎は、「長崎と天草地方の潜伏キ
リシタン関連遺産」として、 世界遺産に登録されました。
ただこの中に、最後の隠れキリシタンといわれた
「生月島」の 名が消されているのです。
‘それはなぜなのか。彼らの祈りの歴史は無視されたのか。
その真実を追求するのがこの作品で、
小学館ノンフィクション大賞を受賞しています。
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作品によると、一般的に隠れキリシタンと
呼ばれるものには 迫害から身を守りひたすら
信者を続けた「潜伏キリシタン」と 、
生月島のように時代が変わっても和洋混合の
独特なキリスト教を 信じる人々がいる。
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彼らのことはあえて「カクレキリシタン」と区別する
風潮が強くなっている。
世界遺産はその背景に物語がないと認められない。
どんな迫害にあっても神を信じ続けた
「潜伏キリシタン」の 関連施設のみ世界遺産にする。
したがってその物語に該当しない「生月島」の名は
消されてされてしまった。
でも著者はそれはおかしいのではないかという。
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「弾圧を受けてもひたすらキリスト教を信じた
人々という 意味では生月島の人々も同じだ。
確かに独特の宗教ではあるけれど、
その思いを長崎県が受け止めず、もはやなかった
ようなものにするのには
大きな違和感がある」と訴えています。
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その通りだと僕も思います。
近々、生月島、また行こうかな。