言葉の大切さ

「ゴー・ホーム・クイックリー」

中路啓太

日本国憲法が成立するまでの

格闘を描いた小説。

主人公は、内閣法制局の佐藤達夫。

GHQが作ってきた英語の草案を

佐藤を中心にたった2週間で、日本語に翻訳し

アメリカと言葉の攻防を繰り返しながら

憲法を作り上げたプロセスを史実を

交えながら、サスペンスフルに描いている。

なかでも白眉なのは、

第九条をめぐる攻防。

少し長くなるので、興味のある方だけ

読んでください。

GHQの草案を受け、最初に政府が作った原案は、

国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は

武力の行使は、他国との間の紛争の手段としては、

永久にこれを放棄する。

陸空海軍その他の戦力は、これを保持してはならない。

国の交戦権は、これを認めない。

しかし、この原案に、このために発足された

特別委員会のメンバーから注文がつく。

「原案のままでは戦争に負け、仕方なく、泣く泣く

戦争を放棄することにした雰囲気がって、めそめそ

しているように思う。どうせ戦争を禁止し、軍備も

捨て素っ裸になるなら、もっと堂々とした、積極的な

表現に変えるべきだ」

侃々諤々の議論の末、条文はこう変わる。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を

誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、

国の交戦権を否認することを声明す。

前提の目的を達するため、国権の発動たる戦争と

武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を

解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ここでまた議論が。

「前提の目的を達するため、とあるが、それ以外の

目的であれば戦争を放棄しないとアメリカに受け取られる

懸念があるが、それは問題ないのか」

しかしアメリカはこの条文を呑んだ。

懸念は十分に感じながら。それはなぜか……。

もうひとつ心に残ったのは、

佐藤と同じくこの仕事に関わった

白洲次郎の言葉だ。

白洲は憲法が制定され数年たって佐藤にこう言った。

「あの憲法は、押し付け以外の何ものでもない。その事実

は独立してからは、米軍が居座っていようとも、やがて

知れわたることさ。ありゃ、素人が作った代物であることは

間違いない。

だがね、素人の作ったものであるにしても、あの憲法は

筋道の通ったものだとは思う。プリンシプルがしっかり

していると言うかね。そのプリンシプルが、日本にとって

よいものかどうかは意見がわかれるだろうが。

果たして俺たち日本人に、あれだけしっかりしたものが

あるだろうか。

いまの憲法を改正するにしても、あのまま守っていくと

してもだ。

日本人はしっかりした、筋の通った物の考え方をして、

地に足のついた国家観のようなものを定めなければ

ならないはずだ。

それが本当の『ゴー・ホーム・クイックリー』への

道じゃないかな」

ちなみに小説のタイトルは吉田首相が好んだジョーク、

「GHQの略は、ゴー・ホーム・クイックリー」から。

僕は国家とか日本人とか大きな規模の話になると

身体が拒否反応してしまうんだけど、この小説は

面白かった。

なぜなら、言葉を巡る日米の攻防戦を描いたもの

だかったらだ。

つねに言葉に敏感であれ。

読後、自分に言い聞かせた。