「8球入魂」~千代丸亮彦の決断

前回の「ここほれ!スポ―ツ」開始のお知らせで紹介した地域経済誌でのスポーツ連載。その連載を始めるにあたって、真っ先に書きたかったのがこの記事でした。

高校1年の時、優勝候補と目されたチームがエースの暴投でサヨナラ負け。しかも登板した直後の初球でした。その真相を知りたくて、取材したくて、始めた連載といってもよいかもしれません。

当時の原稿を一部改編してお届けします。

「8球入魂」~千代丸亮彦の決断


9回裏、二死満塁。スコアは2-2の同点。エースはこの時になって初めてマウンドに上がった。

140キロ近い直球を投げ込む、大会屈指の呼び声高い主役の登場にスタンドは沸いた。

投球練習が始まる。

1球、2球…。全くストライクが入らない。

その投球練習を見て歓声は徐々にどよめきに変わる。

球場が騒然とする中での初球は、投球練習を再現するようなワンバウンドとなり、バックネットまで達するワイルド・ピッチ。

張り詰めた糸がプツリと切れるような、あっけない幕切れだった。

……

…あの試合、正確に言えば1988年の全国高校野球選手権福岡大会準々決勝の筑紫丘戦を前に、常磐高校の千代丸亮彦は肩に違和感を覚えていた。

前の試合、雨の中で9回を投げ抜いた影響があったのかもしれない。

調子の悪い日はこれまでもあった。だが4番打者でもあった彼は、「打たれたらその分打って取り返す」と考えるタイプの選手だった。

怖いもの知らずで、時にふてぶてしい印象さえ与えることもあったチームの大黒柱が、この時だけ「できれば次の試合は投げたくない」と思っている。

この試合に勝てば前田幸長(のちロッテ、中日、巨人で活躍)や山之内健一(元ダイエー)らのいる優勝候補・福岡第一との対戦が濃厚だった。

この試合だけは万全の状態で迎えたい。

初めて顔を出した弱気の虫は、好敵手を前にした燃えるような闘志の仮の姿だった。

……

準々決勝。先発のマウンドには2年生の控え投手が上がった。

序盤はブルペンで調整し、勝負処でリリーフに立とうと千代丸は考えていたが、やはり球が走っていない。

試合は緊迫した投手戦になっている。千代丸は途中で代打出場し、そのまま右翼のポジションについた。監督の中河原勝弘は何度か登板を打診したが、彼が首を縦に振ることはなかった。

そして9回、同点に追い付かれ二死満塁となったところで、外野にいた背番号1が突然、マウンドに向かい歩き始めた。

中河原が慌てて制止する。マウンドに集まったナインからは「最後だし、行けよ」という声が聞こえたようだが、記憶は曖昧だ。

気が付けば投球練習を始めていた。
何も考えず、ただミットをめがけて投げたボールは何度も地面に叩きつけられた。

そして初球…。負けた実感は翌日になって、初めて沸いてきた。

……

本調子ではない。ましてやウォーミングアップも不十分であることを承知の上で絶望的なマウンドに上がる。

何がそうさせたのか。

苦渋の末、選手たちの思いを優先した中河原が投手交代の伝令を走らせながら「押し出し(の四球)だ」と観念したように、彼もまた負けを覚悟しての登板だったのだろうか。
そうではない、と彼は言う。

「まだ終わっていないという気持ちだった。マウンドではいつもの強気の自分に戻っていた」

1点取られたら終わりというギリギリの場面を突き付けられて、初めて結果を恐れる気持ちが消えた。

「気が付いた投球練習に入っていた」という彼の回顧は誇張ではなく、幾度も修羅場をくぐり抜けてきたエースピッチャーとしての本能がとった行為ではなかったか。

あの日、投球練習も含めて投げた球数は8。無心で投げたあの8球は、自分らしい気持ちの入った球だったと、千代丸は今でも思っている。

……

彼は現在、福岡市の専門学校の硬式野球部でコーチを務めている。

コーチとしてのモットーは「野球に限っては弱気になっていいことは何もない」ということだ。

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この話には後日談があって、この話をもとに改めて取材を重ね、スポーツ雑誌「Number」の新人賞に応募した。残念ながら賞は取れなかったものの、印象深い取材であった。

彼には必ずもう一度会って、ゆっくり話を聞こうと思っている。