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無頼と呼ばれるには、かっこ良すぎる
著者の珍しい食のエッセイ集。
なにしろ本書の中でも、
「私は食べ物の美味い、不味いを口にしないし、
書くこともない。
口にしても、書くにしても、それがどこか
卑しく思えるからだ。
どんな名文を書く人でも、こと食べ物の美味い、
不味いが書いてあると、どこか品性を欠いて
いるように思える」
と書かれてあるぐらいだ。
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だから食に関してよりも店のご主人、雰囲気、
そして自分との関りを、いつものクールで
ときに放り投げたような毒とユーモアを
滲ませながら描いていく。
酸いも甘いも噛みしめてきた人だから、
ハッとするフレーズも多い。
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「京都には奥がある言いますろ。けどほんまは、
その奥に、また奥がありますんや」
これは京都人がよく口にする言葉である。
最初はその言葉を聞いて、何をもったいぶってんだ
と思ったが、やはり京都には、奥の、そのまた奥が
あるらしいとわかった。
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近代以降のフランスのパリと京都は似ている。(中略)
ふたつのみやごびとに共通しているのは、
どんなことがあろうと自分たちは生き抜く、という
精神である。
合理性、個人主義のバックボーンはそこにある。
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私が通う店の主人は、なぜか無口で不愛想な男が多い。
だからたまに、愛想が良い、主人やシェフ、マスターの
店に入ると、
ーもしかして、相当におかしい店ではないか
と思ってしまう。
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かっこいいなぁと思うのはギャンブルで勝った
ときはなじみの店で、「はい、女将さん、お小遣い!」
と金の入ったポチ袋を差し出す。
女将さんの返しもいい
「こんなにたくさんはダメ。無駄遣いをする人間は
ロクな仕事ができませんよ」とたしなめる。
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著者は大みそかに実家に帰ったときは、
親に挨拶する折り、長男でもあったので
父、姉妹やお手伝いに小遣いを渡していた。
30年ほどその習性を続けたあと、
父が逝った。
遺品を見ると、古い箱の中に著者が渡していた
金がそっくり使わずにあった。
金額は言わぬが、八桁を超えていた。
さあ、その金はどうしたか。
ここがいい。
オチは、どうぞ本書をお読みください。
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伊集院静。誰もが赤面するはずのこのペンネームを
似合うものにした。この作家の一番すごい
ところだと思う。
こんな名前、ちょっとやそっとでは纏えない。
享年73歳。
早すぎるなぁ。
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