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…部員には田村個別指導についての説明はした。田村と園田の激しい練習の目の当たりにして、部員たちの意識が変わるなどのプラス効果もあった。
だが彼ら全員が園田の説明に心から納得したのかは分からない。この事実は今でも彼を苦しめる。
「他の部員に寂しい思いをさせてしまった。今度は皆で喜びを分かち合いたい」
以来、勧誘も熱を帯びた。後にフランスジュニア国際女子柔道選手権で優勝する日下部基栄や泉麻生らが田村と入れ替わる形で入部した。
シドニー五輪で銅メダルを獲得することになる日下部は、父・兄とも沖学園の卒業生だった。園田のいる福工大付への進学を日下部自身が希望したことはもちろんだが、園田の熱意に父も兄も快く日下部を福工大付に送り出した。
こうして彼女たちが2年の時にインターハイ、3年の時に金鷲旗大会で優勝を果たす。部員たちと優勝の喜びを噛みしめながら流した園田の涙は、田村が在籍した時にいたすべての部員たちも含めた感謝の涙でもあった。
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今回の取材の動機は、田村亮子が去ったあとの福工大付属高校女子柔道部のその後に関心を抱いたからだ。そして柔道に無知な著者は、いま思えば全く失礼な話であるが、田村の卒業と同時に衰退する柔道部の姿を想像していた。
それは、大きな目標に向かって無心で走り続けゴールを迎えた時、虚脱感に身をつまされた自らの経験に基づく邪推であった。
「YAWARA」が通り過ぎた後には、当初予想した燃え尽きた指導者ではなく、優しさを厳しさで包み込んだ指導者がいて、その思いに必死に応えた部員たちがいた…。
福工大付女子柔道部の監督には2000年から金鷲旗大会優勝時に主将を務めた泉が就任している。選手として果たした日本一を、指導者としても目指すという。……(おわり)
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園田義男さんは2018年1月29日、永眠されました。享年72歳。
心よりご冥福をお祈りいたします。