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小津安二郎のDVD、デジタルリマスター修復版を買いなおしている最中なので自宅に届いたはしから鑑賞。
最初に選んだのは、脚本の野田高悟が「自分の代表作」と言う「麦秋」。「東京物語」の二本前の作品だ。
ストーリーはいくつかのエピソードが重なりあいながら淡々と進む。鎌倉に住む七人家族婚期を逸した娘、原節子が、いい縁談話を家族が進める中、昔から知りあいの妻と死別した幼子のいる男と結婚すると決め、家族の中にさまざまな波紋を広げる…。という風なもので、まぁ、なんてことはない。
でも観るたびに新しい発見がある、なんとも苦く哀しく深い映画。
今回あっと思ったのは、一見裕福に見える家族だが、一番給料のいいのはもしかしたら、長女の紀子(原節子)なのかもと感じたこと。だとしたら、経済的にもかけがえのない存在。「どうせ嫁ぐならお金のある家がいい」とどこか奥底で家族が思ってるとしたら。
そう考えると、この映画がぜん、生々しくなりそれぞれの自我がぶつかり合う哀しさがより鮮明に見えてくる。
紀子が嫁ぐことにより、家族の維持が難しくなったのだろう、祖父母は鎌倉から伯父のいる大和へ身を寄せることになる。その別れの宴で、祖父の周吉(菅井一郎)が言う。
「いやァ、わかれわかれになるけど、いつか一緒になるさ。……いつまでもみんなでこうしていられりゃいいんだけど……そうもいかんしねぇ……」
と長男の康一(笠智衆)。
「お父さんもお母さんも、また時々は大和から出てきて下さいよ」
周吉「ウム」
すると紀子が泣くのをこらえながら「すみません、あたしのために……」
映画は普通に見れば、家族の情愛をせつせつと描いているように映るが、先ほどの前提に立てば家族であっても、いろいろな理由でいずれはバラバラになっていく、なんていうんだろう、どうしようもない無常感や死ぬときはしょせんひとり、というニヒリズムさえ感じてしまう。
封切りが敗戦後6年しか経っていないというのも、この隠された主題をさらに重くする。けれど映画はそんな人生の苦みを、削りに削った台詞と美しい映像で糖衣でくるむ。
小津は「麦秋」についてこう語っている。
「これはストーリーそのものよりも、もっと深い輪廻というか無常というか、そういうものを描きたいと思った。その点で今までで一番苦労したよ(中略)芝居も押し切らずに余白を残すようにして、その余白が後味のよさになるようにと思ったのだ。この感じ判って貰える人は判ってくれる筈だが……」
はい、小津さん。僕も60を越えてやっと少しだけこの映画のすごさがわかってきました。これから僕の小津ベスト1「秋刀魚の味」を拝見します。
また新しい発見があるかな。