〝若僧〟のこと

先日、ふと「若僧」のことを思い出した。高校時代の美術の講師である。

掃除を担当していた美術室で顔を合わせるくらいで、特に親しかったわけでもない。
小柄で童顔のこの若い講師を、僕たちは「若僧」と呼んでからかっていた。

当時、月に一度(だったと思うが)授業の一環として、いろんな先生を招いて話を聴く時間があった。

ある日、そこに「若僧」がゲストとしてやってきた。

そこで彼は、ある障がい者施設での経験を語ってくれた。
記憶が曖昧だが、その施設にインターンシップ、教育実習などで行ったのだろう。

施設の生徒たちが、できなかったことが一つずつできるようになっていく様子に感銘を受け、将来は美術の教員の道を進むか、こうした施設で働くか迷っている、そんな話だったと思う。

僕は、なぜか感銘を受けて、溢れそうになる涙を必死にこらえていた。
不器用ながら真剣に将来を考え、悩んでいる若き先生への共感の涙だったのだろう。

その「若僧」が高校卒業記念文集で、次のようなことを書いていた。

…僕は、他の誰でもない自分自身という存在が、明確な量感を持って存在するには、自分と自分の憧れとの間にある未解決の課題に取り組む必要があると思います。
その継続的な姿にこそ、時間の中に自分という存在が刻まれると信じています。

この言葉を僕は、就職浪人中に書いていた日記にも模写していて、
就職活動で悩む僕を励ましてくれた。

特に親しかったわけではないが、なぜか今も忘れることのない先生だ。