ライティングプロの文章講座とは?

ライティングプロでは、文章に関する講座も行っている。
決まったテキストがあるわけでなく、
個々のニーズやスキルにあわせて内容をつくりあげていく
完全オリジナルの講座だ。

講座というと、授業や指導という堅苦しい雰囲気があるけど、
イメージとしては江戸時代の寺子屋・私塾に近いかもしれない。
良い意味で枠組みにとらわれない、自由な雰囲気になればと思っている。

詳しくは講座概要ページを見てもらうとして、簡単に内容を紹介すると、
高坂さんは文章の基本から企画の立て方、自身のブランディングまで、
幅広い分野について楽しく話をしながら、同時に添削指導も行うという
なんとも欲張りなコースだ。

僕の方では課題添削を軸に据えながら、
気付いたところを、その都度アドバイスしていく。
より、実践的な内容になると思う。

どちらのコースでも大切にしているのは、
「実際に文章を書いてもらうこと」だ。

文章を書くことが苦手、という人の多くが、
実際に手を動かして文章を書くことをしない(できない)。

話を聞くだけで、あるいは文章本を読むだけで、
文章力が上がることは、まずない。
そこで、半ば強制的に文章を書く環境に身を置いてもらおう、
というのが、こうした講座の存在意義でもある。

最初は下手でもいい。文章になっていなくても構わない。
とにかく「書いてみる」。それが上達への一歩なのだ。

これまでの経験をフルに生かして、
文章が苦手、という人を一人でも減らすお手伝いができればと思っている。

言葉を削る

いつだったか、自分のフェイスブックに「あなたがこの1年でよく使った言葉」が表示されたことがあった。

うろ覚えだが、そこには「思う」「自分は」「だろう」などの言葉が並んでいた。それを見て、ああ…そうかもな。と納得した覚えがある。

何かのことを書くとき、文頭に「自分は」と断りを入れ、語尾には「思う」「だろう」などを付ける。そうすることで断定色が薄まる。つまり、自分の意見に対する自信のなさが端的に表れているのだ。こういう文章はたいてい内容に面白みがないし、読んでいてリズムが悪い。

例えば先日の「明日の迎え方」の記事でも、最後の一文は当初、こんなふうになっていた。


だから、その種のストレスはかなり減ったと思う。しかも自分がやりたい仕事が、少しずつできるようになっている(もちろん報酬をもらって)。手前味噌だが、この状態が続くならば、最高の人生だと思う。


「思う」がわずか2行に2カ所もあるのだ。そこで「思う」を外してみる。


だから、その種のストレスはかなり減った。しかも自分がやりたい仕事が、少しずつできるようになっている(もちろん報酬をもらって)。手前味噌だが、この状態が続くならば、最高の人生だ。

歯切れがよくなって、読みやすくなったのが分かってもらえるだろうか。文章は無駄な言葉を削るだけで、グッと読みやすくなる。だから何度も読み直して書き直す「校閲」作業が大切なのだ。地味で根気のいる作業だが、校閲をないがしろにする人はライターとしては不向きだ。

それにしても、前に書いたブログを読み返していると、「思う」「個人的には」という言い回しが結構あるなあ・・まずは自分が「思う」「思った」という言葉を使わないように気を付けていかないと。

明日の迎え方


少なくともこの数年、「明日は嫌だな」と思って寝床に入ったことがない。
サラリーマン時代は頻繁にあったが、独立後はほとんどない。

理由は明白で、「嫌だな」と思う仕事は避けるようにしてきたからだ。
仕事を受けてしまった後でも、「これは長く続けるべきではない」と思えば、早めに撤収するように画策する。

フリーランスになってまで、好きでもない仕事なんかやっていられない。
サラリーマンは身分は保証されるが、会社からこの仕事をやれと言われたら、
好き嫌いに関係なく従わなければならない。

どちらをとるかの話だ。

だから、その種のストレスはかなり減った。しかも自分がやりたい仕事が、少しずつできるようになっている(もちろん報酬をもらって)。

手前味噌だが、この状態が続くならば、最高の人生だ。

天国からのラブソング


昨年の大みそか、福岡放送(FBS)で放映された「天国からのラブソング」というテレビドラマを見た。
昨年3月に放映され、僕が見たのは再放送だったが、涙が溢れそうになるのをこらえるのに必死だった。

視聴者からの依頼を調査・解決を目指すFBSのバラエティ番組「発見らくちゃく!」に寄せられた、ある高校生の依頼。そこで起きた実話をもとに制作されたものだ。そのストーリーを番組公式サイトから抜粋すると―

「浩(祖父)は奇想天外で常に周囲を驚かせる人だった。墓参りで楽器を演奏したり、修学旅行にまでついてきて写真を撮ったり…。周りからいつも笑われる祖父を、天星(主人公の高校生)は恥ずかしくウザイとも思っていた」
「祖父のそんな行動の裏には知られざる悲しい生い立ちが関係していたことを知り、(中略)自分の認識が間違っていたことを知る天星。(中略)なぜ、生きている時、もっとじいちゃんに優しくできなかったのか―。家族への『愛』が生んだ、感動のストーリー」

なぜ、生きている時に、もっと〇〇ができなかったのか。
こうした後悔は、実は多くの人が胸に抱いているのではないか。

それを映像であれ、文章であれ、何らかの形で残すお手伝いをすることが、
僕たちの使命だと思っている。

吸収力


全国大手のフラワーギフト企業で
九州エリアの統括責任者を務めてこられたUさんと昼食。
今年定年を迎えられ、現在は顧問として
高所から九州エリアの事業をフォローをされている。

Uさんとは、かれこれ20年以上の付き合いになる。
私が経済誌にいた頃、先輩社員の退職に伴って引き継いだ企業で
マネージャーをされていたのがUさんだった。

私が経済誌を辞めて別の会社に移っても、
雑誌購読のお付き合いなどをいただきながら、
付かず離れずの付き合いが続いた。
ビジネスパーソンとして学ぶことは多く、
中でもその気遣いはとても勉強になる。

35年も九州でホテルやブライダル関係の業界で
第一線を張ってこられただけあって、その人脈は広く、深い。
特に私がすごいと思うのが、
若い人たちとの付き合いが活発であることだ。

私なんか圧倒的に年上の人たちとの付き合いが多いが、
Uさんは若い人からも広く吸収しようという思いが見て取れる。

その姿勢が、いつも若々しい感性につながっているのだと思う。
若い人たちとの付き合いを、自分ももっと意識していきたい。

吉塚

2カ月に一度の割合で美容室に行っている。

20年以上前に吉塚で一人暮らしをしていたことがあり、
その時に通っていた美容室に今も通っているが、
20年もすれば、まちの景色も変わる。

当時住んでいたアパートの前にあったスーパーはディスカウントストアになり、
体の大きな大将がいた小さな飲み屋は、別の飲み屋になった。
新しいコンビニができ、マンションも増えた。

しかし、変わらないものもある。住んでいたアパートはまだあるし、
たまに通っていた定食屋も健在だ。髪を切った後は、その定食屋に行った。

カウンターだけの小さな店だ。お昼時だというのに、客は一人。
この店に3人以上入っているのを見たことがない。
店の雰囲気も、メニューも、料金も、店を切り盛りする夫婦も当時のまま。
カウンターの上に貼っているメニューの札が、
手書きから印刷に変わったくらいだ。

奥さんは足を少し引きづっているようだが、厨房でテキパキと動いている。
おやじさんは基本、厨房には入らずカウンターの端っこで
いつも何か作業をしている。
「あのおやじは、いつも競馬の予想をしている」
という噂を聞いたことがあるが、
手元にあったのが競馬新聞かどうかは不明だ。

注文したのは生姜焼定食。奥さんが手際よく調理し、数分で出てくる。
このスピードも魅力だ。
十分なボリュームの豚肉にキャベツ、もやしが一緒に炒められ、
お新香、酢の物、目玉焼き、味噌汁がついて550円。安い。

20年前もこうして一人夕食を済ませ、誰もいないアパートに帰っていたな…と思いにふける。

このまちにはもう一件、忘れられない店があるのだが、それはまたの機会に。

会議の時間

会議は長くても1時間。そう思っている。

1時間話し合って結論やよいアイデアが出なければ、
それ以上話し合っても出てこない。
つまり効率性の問題が一つ。

もう一つは、人の貴重な時間を、1時間以上も拘束するのは、
いかがなものかと思うからだ。

だから議事進行役は、1時間以内に終えることを念頭に置いて、
話を進めていかないといけない。

よく途中でどうでもいい話をする人がいるが、
そういう時は「その話は後ほど…」と言うべきだろう。
大抵、単なる当人の自慢(知識、経験、経歴)であったり、
余談(いま話さなくてもよいこと)だったりする。

会議の内容も、その多くはメールや資料を送付しておけば済む話だ。
だから会議でわざわざ集まって話をする以上、
「今日この場で何を決めるのか」を明確にしておくべきだ。

フリーランスになってからは特に、
1時間を超える会議に対しては苦痛を感じるようになってきた。
月末になれば決まった金額が銀行に振り込まれる会社員と違い、
こちらは時間を有効活用していかないと、ご飯が食べられないのだ。

ライフワーク

 「ライフワーク」という言葉がある。辞書を引くと「一生かけてする仕事や研究。一生の事業。その人の代表作」(旺文社国語辞典第八版)とある。

 「私のライフワークは〇〇です」と言える人は、勝手な推測だが、充実した人生が送れているように思う。だから、自分でもライフワークと言えるものを持ちたいと思ってきた。

 僕のライフワークは二つある。一つは福岡県の高校野球史をまとめて、出版すること。往年の選手たちにもインタビューをしていきたいと思っているため、気の遠くなるような作業になるだろうが、これは必ず成し遂げるつもりだ。

 そしてもう一つが「いろんな人が歩んできた人生を、その人に代わってまとめる」という仕事。それを今回、「自分誌」というサービス名でスタートさせた。

 政治家や創業社長、プロスポーツ選手など、何か大きな事を成し遂げた人の人生は、多くの人に貴重な教訓や生きる勇気を与えてくれる。しかし、市井につつがなく暮らす人にも、それぞれの人生がある。世間的には無名であっても、その生き方に共感することも多い。
 そして何より、自分も50歳を前にして親や祖父母がどう生きてきたかを知ることは、とても大切なことだと思うようになってきた。祖母が亡くなった時に感じた「もっと昔の話を聞いておくべきだった」という後悔は、今も胸に残る。
 ただ、直接話を聞く、話をするのは面映ゆいという人も多いだろう。そこで、我々が間に入って両者をとりもつのだ。きっと、多くの人に必要とされるサービスになると、確信している。

 ノンフィクション作家・澤地久枝は、その著書『ぬくもりのある旅』で、こう述べている。「…歴史に人間を書きのこす仕事は、もっと身近なところで、そして急いではじめられるべきことであるとわたしは思う」。1978年に書かれたものだが、「我が意を得たり」と膝を叩いた僕は、迷うことなくこの仕事を進めていきたいと考えている。

 まずは福岡、九州でスタートさせる。1年に10人書いたとしても、30年で300人…。急がないといけない。

月の文化

 昨日(11月8日)は美術史作家でデジタル復元師でもある小林泰三さんの講演会に行ってきた。ライティングプロの高坂さんによるプロデュースだ。

 素晴らしかった。〝目からうろこが落ちる〟とは、正にこんなことを言うのだろうと感じ入った。

 日本には多くの国宝や重要文化財がある。それらは当時の面影を残してはいるが、経年劣化によって色は剥げたり、褪せたりして、当時の色ではなくなっている。我々が教科書や本で見るのは〝色褪せた〟昔の作品なのだ。
 小林さんは失われたその色を、当時のものに復元することをライフワークにしており、その魅力を九州・福岡の人にも知ってもらおうと、高坂さんが折に触れて講演の場を用意してくれている。

 「この屏風は、本当はこんな色だったんですよ」と示されるだけなら「ほう、当時はそんな色だったのね」で終わるのだが、小林さんは色を復元することで見えてくる当時の日本人の文化や生活に対する考え方まで解説してくれる。これが面白い。「へえ、そうだったのか」と唸(うな)らされる。
 これまで学校で習った歴史、本で得た知識が一本の線でつながったような、そんな納得感が得られる。知識が教養に昇華した、とでも言うべきか。

 日本美術の流れを解説してくれたのだが、これもためになった。かつて中国から入っていたのは「太陽の文化」。色彩的に言うと金色だ。
 その根底には〝永遠の繁栄〟という考え方がある。中華思想そのものだろう。昔は金色に輝いていた奈良の大仏(東大寺大仏殿の本尊の仏像)は、その象徴だ。

 日本人はそれを一度は受け入れたが、やがて「金」を「銀」に変えていく。
 金に代表される原色のハッキリした色調から、銀に代表される淡くて、曖昧な色づかいが使われるようになり始めたのが平安時代、これがすなわち国風文化だ。その根底には〝盛者必衰〟の思想、今日栄えていても明日どうなるか分からない、という日本人の無常観があったと小林さんは語る。
 常に輝き続ける「太陽の文化」に対し、満ち欠けする「月の文化」こそ日本人の文化なのだ。

 これまで日本美術に対する関心はほとんどなかった自分ですら、「面白い!」と心の中で膝を打った数々の話。正に知的イベントと呼ぶにふさわしい講演会だった。

肩書

 あなたの職業は何ですか、と聞かれたら一応は「ライター」と答える。

 だが、仕事によっては文章を書くだけでなく、誌面全体の方向性を決めることもあるから、その時は「編集者(エディター)」と名乗るべきだし、制作物全体の進行管理役である「ディレクター」としてチームに入ることもある。著書も一冊上梓しているから(売れている、いないは別にして)作家と言えなくもない。

 プロフィールを提出しなければならない時は、「編集者・ライター」と書いているが、やっている仕事の幅が広がるにつれ、しっくりこなくなってきた。

 今の自分の仕事を厳密に紹介せよと言うならば、文章を書くことを中心にした「エディトリアルディレクター」といったところだろう。
 このうち、報酬の高い仕事は、ディレクター(自分調べ)だ。編集全般を見ることのできるセンスも問われるうえ、クライアントとのやりとり、カメラマンの手配など、いろいろ面倒な調整もしないといけないから当然と言えば当然だろう。そして、仕事に対する単価が低いのはライターだ。

 でも困ったことに、自分がやりたいのはライターだ。できることなら、文章を書くことを専業とする職人として人生を全うしたい。そして、関心のあるジャンルはノンフィクション。世の中のいろんな人や事象、課題に向き合い、その事実を克明に綴っていきたい。だから、名乗りたい肩書は「ノンフィクションライター」ということになる。

 ノンフィクション作品といえるものは、一つは書き上げた。しかし、「ノンフィクションライター」をメーンの肩書として名乗るには、せめて、もうひと作品は書かないといけないだろう。
 その実現に向けて準備を始めたところである。

「志は我に存す。毀誉は他人の事。」

 この言葉に初めて出会ったのは、名コラムニストといわれた故・深代惇郎を描いた『天人』(後藤正治著)であった。1975年9月4日付朝日新聞「天声人語」に深代は下記のようなコラムを残している。


……▼就職とは競争であり、成功する者がいるから失敗する者も出る。だが、就職の成否と人生の成否とは関係ない。ハウツー物の説く寸法に合わせて尾ヒレをつける人間には、なってほしくない。自然な自分であれば、それがよい。志は我に存す。毀誉は他人の事。

 いい言葉だな、と思って調べてみると、もとは「行蔵(=出処進退)は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」から来ているようだ。幕臣でありながら明治新政府に仕えた勝海舟や榎本武揚をその著書で批判した福沢諭吉に対して、勝が漏らした言葉だという。それを深代が、コラムの趣旨に合わせて意訳・引用したのだろう。

 我々フリーランスが依頼される仕事の中には気の進まないものもある。もちろんそれを断るのも自由なのだが「一度断ると次から依頼が来なくなるのではないか」という不安や、目の前の収入を確保するために、気が進まないながらも引き受けることもある。だが、すぐに後悔する。そして自分に問うてみる。何のために会社勤めを辞めてフリーランスになったのか、と。

 それは言わずもがな、自分のやりたいことをして収入を得るためだ。自分が好きなことを信じ、楽しむ。他人からどう見られようと、志は自分にある。それを貫くことは、現実社会にあっては容易ではないかもしれない。ただ、せめてこのブログではその精神にのっとり、思うままがに書き綴っていきたい。